タウン誌「深川」が運営する東京深川の地域情報サイト

町会が設立・運営する「琴平学園」、来年3月に惜しまれながら閉園へ

古石場3丁目にある琴平学園は、古石場琴平町会(古石場3丁目と2丁目の一部)が設立した幼稚園(類似施設)。町会が設立・運営する幼稚園は全国的にもめずらしく、園長は代々の町会長がつとめ、町会役員が理事としてボランティアで運営してきた。だが、来年3月での閉園が決まり、71年の歴史に幕を下ろすことになった。

70年以上の歴史を誇る琴平学園

「うちの親父たちがたち上げた幼稚園ですし、やっぱりさみしいですが、これも時代の流れなんです」と話すのは、12代目園長で町会長の児玉源寿さん(75)。自身はもちろん、お子さんもお孫さんも3代そろって卒園生だ。

琴平学園の歴史は明治34年、幼稚園の敷地を含むこの一帯に、神田和泉町から琴平神社が遷宮されたことに始まる。金刀比羅宮(香川県)の分社として祀られ、地元住民から「深川のこんぴらさま」と親しまれ信仰を集めたが、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失した。

園長の児玉源寿町会長

昭和28年、その敷地の一部を金刀比羅宮より町会が無償で譲り受けて琴平学園を開園。「当時この辺りは漁師町で、漁師は朝から船でアサリやカキを採りに行くんです。その間、子どもをみてくれる施設がほしいということで幼稚園ができました」とは児玉さん。

戦後のベビーブームとあいまって、開園3年目の昭和31年は96人が入園。昭和50年には木造園舎から現在の鉄筋コンクリート2階建てを建設。2階は町会会館としても利用している他、深川八幡祭りの期間中は園庭に町会の神酒所がつくられ、町内のシンボル的存在でもあった。

創立50周年の平成15年には長年の功績を称えられ、当時の石原都知事から感謝状が贈られたが、少子化や共働き家庭の増加により、入園希望者は徐々に減少。現在は年少3人、年中7人が在園しているが、町会の役員会で閉園を決めたという。

「役員の多くも卒園生ですが、このまま続けると大幅な赤字を抱えることとなり、これでは町会員の了承が得られない。残った建物の活用法を町会で話し合っている最中です」。来年3月には、関係者を招きお別れ会を開く計画を立てている。


※この記事はタウン誌「深川」279号に掲載したものです。